いぬ犬

近々犬を飼うらしい。そんな噂が実家で流れていた。どうゆうことなのか。食卓の両親に尋ねると、理由だとか方法だとか具体的な答えの代わりに思い出話が始まった。

聞けば両親は二人とも犬を飼ったことがあるという。父の犬は「くろ」。貰ってきた子犬で、庭で育てられたが、数年後事故に遭ったらしい。

母の方は「ベル」と言って、私が産まれる少し前まで飼っていた。犬が死んだ際、母の祖父は妊婦を心配させまいと、その死を誤魔化したそうだ。

そんなベルと父とは面識がある。結婚前の父が母の実家を尋ねた際、人間は皆不在だったのでベルを散歩に連れ出したことがあった。母もその話を後から聞いて驚いたとのこと。

しかし、家族でもない人間が散歩に誘ったからといって犬は着いていくものなのだろうか? 「ほっかむりした農家のおばさんとかは吠えるんだけどね。犬好きは分かるんだろうね」。母は答えた。

私の友人は犬好きが多い。犬と縁のない顔が思い浮かばない。皆「いいとこの子」だからだと思う。彼らが愛犬の写真を見せてくるたび、犬と関わりない人生を送ってきたもんだなあと自己認識を反射させてきた。金魚とかカブトムシとかそれくらいの人格なんだと決めつけていた。どうもそうではないらしい。

両親は犬好きで、父にいたっては犬も嗅ぎ分ける。母のお腹越しに愛犬の声を聞いたかもしれない。犬と肩を寄せ合いながら育ってもおかしくなかったのだ。

男三兄弟、実家を離れて犬を飼う話が持ち上がる。それはもう俺たちが犬みたいなもんじゃんか。

今はもう、いなかった犬が私の人生をじっと見つめていたような気さえする。ベルは芝っぽい雑種らしい。クロはきっと黒いのだろう。犬は急に来られるとびっくりする。

激しく燃える火のそばで

激しく燃える火のそばで

 

厄介なものを掘り出してしまった。俺が掘り出すべき代物ではない。少なくとも見つけるべきだったのは、就活に二の足を踏んで、大学院に進んだような人間ではない。

研究室の椅子にぐっともたれてそれを睨みつけている。悩んでみるふりをしても、出てくる答えは一つしかない。指導教官に差し出すべきだ。それ以外にない。俺には手に余る。

しかし、先生はあれを上手く処理してくれるのだろうか。彼は、日ごろから何かというとあんなものは存在するはずがないと言って回っていた。イデオロギーの敵にも塩を送ることになる。今更、主張を曲げるとも思えない。

私たちが長年やってきたことは、個別具体的な諸物を並べて、そこから大きな流れを見いだすことだ。ああいうものは、その大河の端にある小さな水たまりのようなものに過ぎない。しかし、そうして切り捨てることが俺にはできない。

だから、小説を書こうと思う。論文は書いたことがあるが物語は書いたことがない。論文にならないものは、小説にしてしまう。

 

 

土と木とでできた部屋の闇に埋もれるように男が一人背中を丸めている。静まり帰った時間の中で唯一力を放つ焚火の赤が、黒茶けた壁と男の顔とを照らしていた。男は囲炉裏の灰の方をじっと見つめて、火箸で何かを書いている。男にとってこれだけが唯一今与えられている役目であった。

男はふと耳を外の長雨に向けた。男と世界とを家の中と外とに隔絶させていた雨である。その向こうから、大勢の足音と歌う声が漏れだし始めている。男は息を大きく吸い込むと全身に力を入れて家の外へと這い出で、そしてもう一度大きく息を吸い込んだ。雲の間を潜り抜けた白っぽい日光が目に突き刺さった。

「おかえり!」

男は思い切り、それは人から見ればぎこちない足運びなのだけど、思い切り光の方へ走った。駆け寄る先には沢山の笑った顔があって、今日の収穫を男の方に掲げ持って見せた。取れ高はまずまずのようである。

一群から数人が抜けて、男の方に寄ってきた。男の家族である。兄は中でも特段上機嫌だった。

「剛、火の番ご苦労様」

「ただ見とっただけやさかいご苦労ってことないちゃ。そっちこそ大丈夫やった?」

「大した雨やなかった。そういえばお前、今朝は体痛いって言わなんだぜ?」

「大したことないってことやちゃ」

男が小さくつぶやくと、兄も聞こえるかどうかという声でふうんと唸った。

「そうや、お前。土器を作るって話、泥猪のおばさんに話しといたよ。夕方だったらいつでもいいから、工場に来いやと」

「そう、よかった」

男は兄から目線を外したが、その顔は明るくなっていた。

 

「いやあ、よかったよ」

泥猪は粘土を捏ねながら呟いた。

「巧が少し前にねえ、死んだやろ。やから、うちでちゃんと正器作れるのは創だけになってしもて……。それやったら、村で器作れる若いのは一人だけんなってまう。やからねえ、剛君が作るって言うてくれて本当によかったがやちゃ」

木の実仕事も一段落した秋の昼下がり。泥猪の声は悲しみをはらんでいた。

「俺も結局狩りの一つもできんでこの年になってしもたんで、なんかやらんとなあとは思っとったんです。やから、泥猪さんがうんと言うてくれてよかった」

「もういいちゃ母さん。冬祭りまでにこの村どころか広海の分も作ってしまわんなんがや。ちゃっちゃと始めんまいけ」

どんよりした空気に嫌気がさしたのか、創は捏ね終わった粘土をござに叩きつけた。

「しかも、今年は兄さんの代わりにずぶの素人や。みんなが欠けた鍋で煮炊きしたいってんなら別やけど」

軽口を叩くと、創は早速粘土から一塊をちぎって延ばしていった。創の手捌きは鮮やかだ。延ばされた紐状の粘土が蜷局を巻き上げるとあっという間に器が現れた。のっぺりと転がっていた土塊に、生活を支えるための命が吹き込まれていく。自分のやるべきことはこれだと剛は思った。

それから剛は他の仕事もそこそこに土器づくりに没頭した。始めは器形を作ることさえ難しく、粘土を器にしては粘土に戻しまた器に作りを繰り返した。成形が形になれば次は文様付けである。紐や竹片などを表面に押し付けていくのだが、この力加減に工夫がいる。押しつける力が弱ければ文様がきれいにつかないが、強すぎると器の形を歪ませてしまう。

泥猪の指導は極めて丁寧で優しさに溢れていたが、創の態度は全く違った。自分の作業中は他のことに目もくれず、助言のただ一言もなかった。手を休めるときとなると、面白くなさそうな顔をして剛の器を不細工だ、五歳の私でもこんなに下手ではなかったとなじるのである。泥猪は見かねて剛を庇い、ときには創に幼いころの話をするよう誘導した。

何度も話したのは、自分が土器職人の父母の間に生まれて、同じく土器職人の兄からその教えを受けたという話だ。自分は物心がついたときから土に触れ、最初の玩具は粘土であった。巧兄さんは、本当に土器を作るのが上手くて、その造形美といえば装飾などつけなくても十分人心を震わせるに足るものだった。私は彼から遊びの中で土器づくりを学び、時間があれば土をいじっていた。兄さんは死んでしまったが、いつか自分は兄さんに負けない土器を作ってその墓前に供えるのだ。

ある日、土器づくりの帰りに泥猪の家で夕餉が振舞われることになったとき、創は兄の最高傑作だと言って一つの器を見せてきた。それは膝の高さよりも大きい深鉢で、すっきりした胴から大胆に張り出した頸の造形はなるほど見事だった。表面の文様も精密だったが、特に美しかったのは口縁の飾りで、土でできているのに炎のような動きが見えた。器を両手で優しく抱えるその顔はいつにも増して得意げだった。

創の態度を疎ましく思っていた剛もその見方を変えるようになった。その苛烈さは誇りと情熱の飛び火なのである。剛の心は、器とそれを作る手業と真剣な眼差しとの美しさに前にも増して注がれるようになった。

柊の花が咲くころには、努力も一応の形を成すようになった。成形を終えるという日、泥猪曰く神前に供えても問題がないという正器が一つできたのである。

これまで冬は憂鬱な季節だった。狩人が野山を駆け巡っては鹿や猪を携え帰ってくるのを横目に、自らの動かぬ脚を恨んでいなければならなかった。自分と同い年くらいの男たちはみんなすっかり自分で狩りができるようになっていて、自分の弟や妹さえも父の後ろについて山に入っていくのである。せめて獲物の調理くらいはできるようにと一通り覚えたが、人の獲ってきた肉はどこか苦々しい味がした。

今年はそんな後ろめたさを感じない。冬の透き通った日光を浴びて硬さを増していく器を見ていると、ついに自分も人の役に立つような形あるものを自らの手で創ることができるようになったのだという自信で胸が躍った。重さを忘れた足であたりを駆けた。

 

冬祭りは冬至に前後して行われる。海辺の隣村である広海から多くの人が干した貝や海魚、宝飾品や石材を船いっぱいに載せてやってくる。剛たちの村では、彼らにご馳走を作って出迎えて、一緒になってお祝いの宴会をするのである。土器の焼成は宴会に先んじて行われ村を挙げての行事となる。

賑やかな声の中、泥猪の家族と剛とで土器と薪を組み上げる。しっかり木組みができると、創はいつになく不安げな表情で黙ってしまった。

「どんなに上手く形を作っても最後まで無事焼けるかは火の神様のご機嫌次第や。最初に作ったのは割れる。そう思っとった方がいい。私のもそうやった」

剛が何とか宥めすかそうとすると創はため息をついた。

薪に火をつけると、泥猪が大きな声で歌い出した。創も続けて声を張り上げる。村に伝わる焼成の歌だ。なぜこんな歌を歌うのか、剛は昨年までよく分かっていなかったが、今は分かる。火神の恵みの気まぐれさから気を紛らわせるためだ。炎は冷たい北風をものともせず、激しい音を立てて舞い踊る。職人たちは、後ろで奏でられる笛や太鼓の音に背中を預けながら、鮮やかな赤を睨みつける。火が収まるころには一同は体中を汗で濡らしていた。

剛が消えかけた火に駆け寄ろうとすると、「待て」と泥猪の鋭い声がなった。

「ここからが本番や。ここで焦ったらみんな割れる」

そう言って泥猪はまた違う歌を歌い始めた。村人たちは飽きてしまって散り散りになり、泥猪以外の職人も疲れ果てていた。一人の声があたりに響いた。

しばらくして、泥猪はすっかり黒くなった薪をどけ、胸から息を吐くと剛を呼んだ。

「おめでとう」

剛の初作は果たして無事に焼きあがった。剛は足から力が抜けて煤けた地面へとへたり込んだ。

 

宴席の料理はその冬焼かれた新品の器で作られる。古くなった器物は後日祭事を執り行って送られ、代わりに新しい器が各家庭に下される。剛が作った鍋では、鹿団子と干し茸の煮物が作られた。家族は大変な喜びようで、一口食べるごとに、これが剛の作った土器の味かと、鍋をうっとり眺めたり表面の文様を撫でたりした。去年までは家族が獲ってきた獲物を食べるだけだったが、今年はその調理に自作の鍋が貢献したのである。この日の肉団子は、これまでの人生の中で最も美味に感じられた。

そんな賑やかさの中、客人の中の一団が泥猪の家族の方へと挨拶に出向いた。

「いやあ、創さんの器は実に素晴らしい。商いをするときどれほど助けられたか分からんわ。どこへ行っても喜ばれるんやちゃ。今日持って来た翡翠もそうやって手に入れたがです」

始めは剛も気に留めてはいなかったが、空気が変わるのを感じて目を向けた。

「お願いです。私を船に乗せてください。今、外の世界で起こっとること、本場の土器が見たいがです」

創が頭を下げていた。土器を形作るときのあの真剣な眼差しで。

「旅に危険は付き物やよ? 分かっとるんけ?」

「分かっとります。分かった上でお願いしとるがです。途中で海の底に沈んでも悔いはありません。春におたくで隆線の土器を拝見したとき感激いたしました。これこそ、兄がやろうとして果たせんだことなのだとはっきり分かりました。自分でも隆線を取り入れて見ましたが、なんか足らんがです。やらせてください。炎を、炎を土に映したいがです!」

叫び声が上がると、あたりはぎょっとして黙り込んでしまった。客人もしばらく黙り込むと大きく頷いた。

「あなたの気持ちはよう分かりました。いいでしょう。実は倅も修行に行かせようと思っとったとこながです」

客人が目配せをすると、後ろにいた青年が頭を下げた。肩幅のがっちりした大男で、突き出た額の下に気迫のある目があった。剛には見覚えがあった。そういえば、去年一昨年から度々村に来ていた男だ。なぜ祭りでもない頃に随分長いこと滞在しているのかと思っていたが、あれは泥猪のところに修行に来ていたのかもしれない。

「それは心強い。絶対に私たちで新しい土器を完成させんまいけ」

創の表情には未来への希望が満ち溢れていた。

 

次の日は雨だった。父と兄は客人を連れて狩りに出かけ、残りは祭りの後始末に出ていた。剛は独り、痛む背中を囲炉裏の火で温めながら、結局古鍋とは交換されないで、祭壇に飾られている自作の土器を眺めていた。

憂鬱だった。どうしてこんなに気が滅入っているのか自分でもよく分からない。雨のせいであることは間違いないのだが、おそらく昨日の宴席でのやり取りが気にかかってしょうがないのだ。要は、自分ややっと掴んだその人生と、何か掴みかけた創やその人生が全然交わらない別の世界のものだということがよく分かってしまったということだ。

自分の胸の中で悲しみと怒りとが交互に揺れ動いていく。そして、怒りがやってくるたびに目の前のしょうもない土塊を地面に叩きつけて土に混ぜ込んでしまいたくなった。しかし、もうその土塊は自分の手でどうにかできるものではない。あの器は、泥猪に教わり、創と作り、家族に祝福されて神前に鎮座しているものなのだ。

創は土器を手に取ると、そっと囲炉裏の方に近づけた。やはり中の方はよく見えない。晴れた日にしようかと躊躇ったが、勢いに任せようと小刀を持ちだした。

長いこと独りで炉の灰を弄っている間、剛には一人遊びができていた。自分の言葉の吐き出す音一つひとつに当てはめた文様を考えることだ。五十個ほどを考えてできるだけそれをシンプルな形に整えていく。自分の頭の中と日々消えていく灰の模様にしか存在しないそれらを組み合わせて、器の内側に刻んでいった。

なんと刻んだのかは、彼にしか分からない。なぜそんなことをしたのかも詳しいところは知り得ない。ただ、彼がどうしてもそのようにしなければ気が済まなかった、そのことだけは確かである。

自愛しています

入院した。4年前にもなった回盲部炎という病気で、腸が炎症を起こしているらしい。腸を休ませながら病原菌?を取り除くために、ものも食べず一日中食事代わりと抗生物質の点滴を打っている。
携帯の充電器も持たずに病院に駆け込んでそのまま入院することになったので、早々に携帯は文鎮になってしまって読む本もなかった。昨日一昨日は寝ていないときはずっとテレビを見ているという具合だった。
普段からNHKはけっこう見る。病室でも100分de名著谷垣潤一郎特集とかブラタモリ網走編、筒美京平のドキュメンタリーを見ていた。
私がNHKというときはBSも含まれていることに気付いた。地上波のNHKだけだと間が持てず、民放の番組も見た。2.3回見たはずのハリーポッターや話題の鬼滅の刃を見てしっかりできてるなあと感心したりした。バラエティでは福井で自動車修理会社を経営するヤマンバギャルが取り上げられていた。閉鎖的な地元にあって自分で事業を営み、好きなもので身を固めている人がいるのかと思うと頼もしかった。
それにしても民放番組は慣れない。視聴者が反応すべき感情を効果音や出演者の反応で誘導してこようとするのが癪だ。こっちは飯が食えないのにグルメばっかり出してくるので腹が立つ。あと、とんかつDJアゲ太郎の宣伝がひっきりなしにやっていてこれがマッドマックスをネット以外誰も見てない現象の正体かと悟った。民放は公共の電波ではないという認識を新たにした。
病院というのも辛気臭いところだ。トイレに立てばどの部屋も具合の悪い老人が満載で、仏教的には見ておくべき世界の姿なのだろうが流石に気が滅入る。
そんな中、点滴のことは気に入っている。入院初日に針が入ってからつけっぱなしで、輸液の袋がかわるがわる繋がれていく。細菌など入らないように接続していく様子が人工衛星のドッキングのようで面白い。消化器官を使わずに直接血管に栄養を流し込んでるというのも臓器機能を外部化しているような感じがある。
身体が機械化している。
かっこよくなっている。
身体改造は拒否感があるのだけど機械の身体には憧れがあるので気軽に体験できてよかった。
お昼はおもゆと牛乳、リンゴジュースを飲んだ。まだ固形物とは言えないが口からものを入れて胃に送るというのは気持ちがいい。快感をいつも以上にはっきり感じる。
機械の身体ともすぐお別れだ。

ぶらぶら。三条

友人曰く、「東京2020オフィシャルショップ」というものがあるらしい。私はスポーツというものに「複雑な感情」を抱いている側の人間で、ことオリンピックに関しては左寄りなのもあって常々疎ましく思っている。それを今更また東京でやるというのでいよいよ嫌になっていたところ、中止(中止だ中止)の報が入ったのでオンラインショップなど眺めてほくほくしていた。これが実店舗であるというのだからどんな顔をしているのか拝みにいかない手はない。ちょうどオンラインショップは在庫切れになっていたところだ。

聞いた翌日には友人と、京都丸善にある店を訪ねた。エスカレーターを下ると確かにフロアの隅っこにある。丸善には先日行ったばかりなのに、前来たときは気が付かなかった。

店中浮かれた「2020」の文字が並んでいたが、現にその全てに全く意味がなく、数か月もすればそのほとんどが不良在庫になるのだと思うと寒気さえした。二人は店の商品を一つひとつじっくり眺めた後、Tシャツを買ってサンマルクカフェに入った。

友人は戦後の住宅事情や人口の移動に関心を寄せている。廃墟になりかけた団地などにも出かけているらしい。人の移動と言えば、最近旅した北海道は正に人の流入出に翻弄された土地と言ってよく、気になるところだ。彼はいくつか面白そうな場所を教えてくれて、同行する約束もした。

「そういえば、ちょうど近くにもいいところがありますよ」

聞けば三条の目抜き通りを少し行ったところに「改良住宅」というものがあるらしい。同和対策事業として整備された団地だそうだ。団地を回っているとよく目にするらしく、派生的にそちらにも詳しくなったということだ。

鴨川から「土下座象」を通って2ブロックほど行ったところを右に、花見小路通りを進むと古びた集合住宅が見えてくる。前に居住者の名前を書いた看板が立っていて、皆お年を召していそうな名前だ。建物は時代を感じさせるものが多く、聞けば高齢化が進んでいるらしい。しばらく散策させていただいたあと、川端通り沿いのバスターミナルの方に戻った。

左手には大和大路通りが見える。三条から祇園に行くときに通ったことのある道で、古道具屋が多い。少し奥に進めばさっきの場所なのになぜ気が付かなかったんだ。駐車場を横目に三条の方に戻る。そういえば、京都の町の真ん中にこんな大きな駐車場があるのも妙な話だ。三条大橋の向こうに続く繁華街を確かめて、後ろを振り返る。団地がある。7年間も京都に住んで、目には入っていたはずの団地だ。しかし、認識できていなかった。

連れに衝撃を伝えると、「『中心』が、見えないよう巧妙に作ったんですよ」と答えた。私はまるで知識がないので実際のところが分からない。ただ、あまりに驚いてそういう風にしか思えなかった。

世の中、まだ知らないこと、気付かないことばかりだ。今度の約束が楽しみで、少し怖かった。

おいしい北海道

眠りから覚めて窓を見下ろすと、広がるのは見たこともない風景だった。茶や緑、黄色の巨大で真っ直ぐなタイルが山と川の間をぎっしり埋め尽くして、それがどこまでも広がっていた。国内旅行に来たはずが、ずいぶんと変わったところにきてしまった。これが北海道。

事前学習にアイヌの本ばかり読んでアイヌに肩入れするようになっていた私にとって、眼下の光景はグロテスクなものに見えた。植物の色をしているとはいえ自然というにはあまりに直線的で人工的だ。アイヌが共存してきた森林を奪い、切り拓いて作った近代構造物。私の目にはそう映った。

しかし、眺めるうちに変わった印象も受けるようになった。この広大な農地を開墾した開拓民の苦労を思い描いた。そして、この農地が育む大量の食料がどれほどの人々の飢えを癒したか考えた。私の北海道旅行はそうして始まった。

1日目は、できたばかりの民族共生象徴空間ウポポイに行った。体験学習はコロナの影響で中止していて、国立アイヌ民族博物館しか見れなかったのだが、本で読んだ資料が生で見れたのはよかった。また行きたい。

2日目は、時計台を見て、北海道博物館に行った。同行者に内村鑑三のオタクがいたので、時計台も楽しく見れた。北海道博物館は北海道の通史やアイヌの歴史、開拓の歴史の展示があった。やはり視覚的な資料があるのはいい。アイヌ関連もウポポイに劣らない。北海道博物館の近くには、北海道中の開拓時代の建造物を移築してある開拓の村という施設があった。閉館30分前に入ったら馬鹿みたいに広くて笑ってしまった。

3日目は小樽に行った。どうせいかにもな観光地でしょと少し舐めてかかっていたのだが、思いのほか歴史的な建物が残っていて驚いた。海も見れてよかった。話しかけられたおじさんによると観光客が全然来てないらしい。

4日目は北大の植物園に行った。北海道の高山植物や北方諸民族が利用していた植物が見れた。

見返してみると、4日間でアイヌと「開拓民」の歴史を行ったり来たりしていた。出かける前は征服者の末裔として土下座行脚でもするつもりだったのだが、海鮮だ羊だセコマのお惣菜だを食べているうちにずいぶんほだされてしまった。

北海道出身の同行者がどこかで、「この開拓がなかったら俺生まれてないんだろうな」ということを言っていた。私だってそうかもしれない。北前船は北陸から出たそうだし、開拓民の3割は北陸出身者らしい。

現在も続くアイヌの苦難を思えば、これでよかったのだとは到底思えない。ただ、自分たちが立っている現状を否定する気にはなれない。どんな経緯にせよみんなそれぞれ自分の人生を生きてしまっているのだ。

ベトナムのフランスパンでできたサンドイッチ・バインミーを思い出す。フランスの植民地支配のことを考えても、やっぱりバインミーはおいしくて、あってよかったと思う。

どうしていいのか分からないけれど、とりあえず自分の立っているところがどうやってできているのか勉強していこうと思う。そして、おいしいものをたくさん食べたい。

快活クラブ

快活クラブに行ってきた。

前々からよくこんなジジイみてえな名前つけたなと思っていたのだが、行ってみると随分よかった。なによりも完全個室になっているのがいい。これまで使ったことのある漫喫は鍵もないし、扉の上下に隙間が開いていた。この隙間はいただけない。この隙間があると言うだけで、若干の緊張感があり落ち着かない。漫画を読んでデカい声を出せない。
漫喫・インターネットカフェに助平な漫画とかコンテンツとかがあるのを見て、個室じゃないし「使う」のを認めてもなさそうだし、なんで置いてあるのかしらんと訝しんでいた。完全個室がようやく世界に調和をもたらしたと感じ入るばかりである。私も所帯を持ったらここでマスをかこう。
鍵がある他、廊下等が明るく綺麗なので、安心感がある。シャワーやコインランドリーも完備していて、宿使いでも良さそうだ。他の漫喫でも案外しっかり寝られることは知っていたが、かなりホテルだった。
ドリンクバーを部屋に持ち込ませないことで粗相を防ごうとしているのであろうことも思い切りが感じられる。受付も自動化が進んでいてスマートだ。商学部卒なのでこういうよく出来た企業努力を見ると嬉しくなってしまう。

ぼぎわんも、来た

映画『来る』の原作『ぼぎわんが、来る』を読んだ。

『来る』は偽イクメン、ワンオペ育児、毒親、反出生主義あたりが混ざってできた『ゴジラ』みたいな映画だった。1章、2章、3章で異なる主人公それぞれに、「それ」が異なる形で襲い掛かり、「ぼぎわん」の正体は語られない。映画の2章では、香奈の「押し付けられた母役割」と「母性が欠落した女=実母の血」という呪いにフォーカスしており(黒木華が超よかった)、3章では、「望まれない子」である知紗と「それ」が「赤ん坊を殺した」野崎と「望んでも産めない」真琴の前に現れることになる(岡田准一小松菜奈が超よかった)。

一方『ぼぎわんが、来る』では、男性性の怪物性に焦点が当てられていた。

物語の後半、「ぼぎわん」が秀樹の下に現れた理由として、秀樹の祖母志津がその夫(秀樹の祖父)銀二を呪いぼぎわんを呼び込んだことが明らかになる。銀二は志津に暴力を振るい、子供も殺していたのである。家父長制の暴力がぼぎわんを招いたのである。

昨今(いつですか?)、このような男性性は批判され、「男らしさ」そのものが男性に期待されないようにみえる。しかし、実際のところ「男らしさ」は形を変えて社会から求められ続けているように感じる。従来の「俺についてこい」型の「強い男らしさ」から、コミュニケーション能力と優しさを備えた「新しい男らしさ」へと求められるものが転換しているのではないか。

古い「男らしさ」に強権性や暴力性といった負の側面があれば、新しい「男らしさ」にも暗い顔があるだろう。秀樹はその暗い面の典型として描かれている。コミュニケーション能力や優しさは実態がなく、「パパ友」や浮気相手に上滑りしていく。外面では「よい父親」を肥大化させながら、妻にその役割を押し付け、実際にはなんの役にも立たないどころか有害。新しい父性の地獄だ(映画の妻夫木聡も超よかった)。秀樹は、祖父の怪物的な父性という呪いを異なる形で受け継いだのである。

さらに、その呪いはもう一つ暴力的な男性性によって作られる。唐草である。映画では愛嬌があって気遣いのできる本当の意味での「新しい男らしさ」を「見せて」いた「津田」だったが(青木崇高が超よかった)、小説では香奈に言い寄るもののそれとなく拒まれていた「唐草」である。唐草は民俗学に入れ込み、家庭を持ちながら女癖の悪い男たちを軽蔑して、秀樹だけでなく香奈をも呪う。インセルというか非モテというか、近年よく言及されるような男性の暴力性を思い起させる。

ぼぎわんは、従来の家父長制の暴力を受け継いだ、新たな男性性の暴力によって「来る」妖怪なのだ。上っ面の優しさもモテない僻みも身に覚えがある。化け物にならないようにきちんと怖がっておきたい。

 

ぼぎわんが口減らしを具現化した名前のない妖怪とどう繋がるのかまでは読み切れなかったので今後の課題です。