本当のお嬢さん

リビングでアマプラが見られるようになったので『ブラック・クランズマン』を観た。白人至上主義や警官による黒人への暴力などといった超ホットなテーマを、気勢を込めつつ痛快サスペンスコメディーに仕上げていてよかった。

全編を通して映画の悪影響ということが語られていて、それだけによい映画よいプロパガンダを作ってやろうという意気込みを感じる。黒人差別的という悪評でめっきり話題の『風と共に去りぬ』で幕を開け、クライマックスでは『國民の創生』を用いてKKKと黒人活動家たちとの対比を際立たせている。

風と共に去りぬ』というと、私の母の最もお気に入りの映画である。原作はもちろん原作者以外の作家が書いた続編などもコツコツ読んでいる。弟と2人リビングで映画を見ているとそんな母が帰ってきた。母は映画を見るでもなくリビングのテーブルに座っていたが、『風と共に去りぬ』のこともあって私は少し居心地が悪かった。

観終わってから、母は私たちになんとなしに「どうだった?」と聞いた。私たちがなんとなしに「面白かったよ」と返すと、母は「なんかおぞましかったわ」と呟いた。

母は暴力的な映像作品が嫌いだ。幼いころ「ワンピース」をテレビで見ていたら「なんでこの人達は戦ってるの?」と聞いてきた。この「なんで?」は質問ではなく、暴力に対しての拒否感を示す言葉だ。母は決して黒人のことをおぞましいと言ったのではない。『ブラック・クランズマン』で目に映る全体的な暴力にぞっとしたに違いないのだ。

これこそ『風と共に去りぬ』が批判される要因であり、『ブラック・クランズマン』の批判するところであろう。黒人差別さえも古き良き時代の思い出にして、ときに過激化してしまう反差別の訴えから目を背けてしまうことのなんとおぞましいことか。

しかし、私は母に何も言えなかった。母には私も含めた身の回りの生活が最も大切である。今日のお昼のニュースでも、一番の気がかりは福井で何人コロナが出たかということで、ウィスコンシン州のデモはなんとなく「おそろしい」地球の裏側のことでしかない。そうやって自分のことを頑張っている人に、「黒人差別の問題に意識を向けましょうよ」とは言えない。

いや、そういうことではない。差別を題材にした映画のことを色々書いておいて、母のことを散々悪く書いておいて、私にそれを家族に向かって面と向かって言う勇気がないというだけの話だ。家族と政治の話をするなんて考えられない。そんなもんじゃないのか。そうじゃないところがあるなど同じ星の話と思えない。

私の周りに白人至上主義者なんていないけれど居心地が悪い。組織に潜り込むのと同じくらい居心地が悪い。